<テーマ>
やさしい日本語ラップ「やさしい せかい」を見て、感じたり考えたりしたことを、2000字以上4000字以下の作文にしてください。
手話ラップ版
最優秀賞 山形県 山形県立寒河江高等学校 2年 佐藤 裕斗
タイトル:「やさしい せかい」をつくるために
私はかねてより、さまざまな国からやって来た人たちとの交流に興味がありました。そこで、高校での探究活動で「一緒にスポーツをする、一緒にご飯を食べるなどをすれば外国人と仲良くなれる。」という仮説を立て、英語で外国人と交流する機会を作ろうとしました。しかしそれは結果がすでに見えていて、探究活動としては成り立ちませんでした。そのときに先生から、山形に暮らす外国人の多くが母国語以外にやさしい日本語を求めていること、そして特に技能実習生が増え続けているという話を聞き、さまざまな言語を話す人々とコミュニケーションを取る手段としてやさしい日本語が重要になってくることを知りました。これが私とやさしい日本語との最初の出会いでした。その日、家に帰って早速インターネットでやさしい日本語を検索すると、やさしい日本語のラップ「やさしい せかい」がヒットしました。わずか三分ほどの動画でしたが、日本で暮らす外国人の方が普段感じていることがダイレクトに伝わりました。その中で私の心に一番刺さったのは外国人=英語ではないということです。私は英語で話すことがすべての外国人の助けになると思い込んでいましたが、それは誤解であり、かえって外国人に迷惑をかけてしまうことがあると気づかされました。しかし、そのとき私はまだ、多言語で書かれた看板などを街中でよく目にしていたので、やさしい日本語は本当に必要なのか、外国人に伝わるのかと懐疑的な気持ちでした。また、私はやさしい日本語が普及したら、伝統的な日本人の敬語をつかう文化がなくなるのではないかとも思っていました。
しかし、その考えを変える機会が訪れました。それは外国人から切符の買い方を尋ねられたときのことです。「やさしい せかい」を見てからおよそ二日後に起きた出来事だったので、その瞬間私はハサミの法則を思い出しました。「はっきり、さいごまで、みじかく」を心がけて、「どこに行きますか。」「ここにお金を入れます。」「ボタンを押します。」と短く説明しました。そして、彼らは無事に切符を買うことができました。そのときの驚きと喜びは決して忘れられません。やさしい日本語を使うことで、言葉の壁を越えることができるのだと実感しました。やさしい日本語は日本人なら誰でも使えるものであり、こんなに簡単に外国人とコミュニケーションを取れる手段はないと感じ衝撃を受けました。それは外国人=英語だと思っていた私にとってコペルニクス的転回とも言えるほどの出来事でした。
それから私は、実際に地域に暮らしている外国の方から話を聞くため、そしてやさしい日本語の実践を積むために、日本語教室に参加することにしました。その教室は、地域の企業の社長さんがベトナムから来ている技能実習生のために行っているものです。自分が発した日本語が相手に伝わった瞬間、自分の言葉が伝わる喜びを再び感じました。また、技能実習生の方々が一生懸命日本語を勉強している姿に感動し、やさしい日本語が彼らにとって大切なコミュニケーション手段であることを再確認しました。彼らに話を聞いたところ、いつも学校と会社の行き帰りのみで日本人と関わる機会がないと知りました。私はその原因は日本人にあると思いました。日本に住んでいる限り、日本人と関わる機会はたくさんあります。しかし、「やさしい せかい」の歌詞にあるように日本人が外国人を怖がり避けていること、話しかけたいけれど言葉が通じるのか不安で話しかけられないということが原因で、接点が失われているのだと感じました。私も以前までは外国人に話しかけづらかったです。なぜなら、そのときの私は外国人には日本語は伝わらなく、英語のほうがよく伝わると思っていたからです。話しかけても自分の英語が伝わらなかったらどうしようと不安で話しかけられませんでした。言葉が私と外国人の間の大きな壁になっていました。しかし、やさしい日本語を知りそれを使ってみると、日本語という自分が持っている力で言語の壁が解決できるということがわかりました。現在、在留外国人の数が増えており、これから日本人と在留外国人がコミュニケーションをとることはますます重要になってきます。現在の日本社会において、やさしい日本語が果たす役割は大きいということに気づきました。そこから私は、やさしい日本語をより多くの人に広めることで、日本人と外国人が関係を深める上で言葉の壁というものが大きな障害にならないということをみんなに実感して欲しいと思いました。そして、日本人と外国人がやさしい日本語でコミュニケーションをとることで、偏見から生まれた外国人に対する怖さというものをなくすと同時に、外国の人ではなく、日本で共に暮らしている人という認識が持てるようにしたいです。そうすることで、多文化共生社会を実現することができるのではないかと考えるようになりました。
そこから私たち探求班は、その目的をやさしい日本語の普及へと舵を切り始めました。まずは若者たちにやさしい日本語を広めようと、学校祭に外国人の方を招待し、本校の生徒がやさしい日本語でおもてなしをすることを企画しました。そして生徒にやさしい日本語について知ってもらうため、やさしい日本語の必要性、ハサミの法則などの使い方の要点をまとめたリーフレットを作り、全クラスに配付しました。また、より多くの外国人の方に来ていただくために、地域の国際交流協会や駅などにやさしい日本語で作成したポスターを置いてもらいました。するとある日、地元紙の記者から取材依頼が来ました。私たちの活動を知り、やさしい日本語のポスターを記事として取り上げてくれるということでした。私たちにとってこの機会はやさしい日本語をより多くの人に広める最高のチャンスでした。どのぐらいの人が自分たちの記事を見てやさしい日本語を知ってくれたのかはわかりません。しかし一人でもこれを読んでやさしい日本語の存在を知った人がいるなら、私たちの目標は少し達成されたと思います。
そして学校祭当日、数は多くありませんでしたが、外国人の方が来て、本校の生徒がやさしい日本語を使い会話をする機会をつくることができました。やり取りの場面を見ていると、本校の生徒が外国人の方に対して「おひとつですか。」と言っていました。おそらくその生徒は外国人に対して敬意を表そうとして、丁寧語の接頭語「お」を使ったのでしょう。しかし、相手は戸惑っていました。よかれと思って使った表現が、外国人にとってはかえってわかりにくいものになっていたのです。学校祭後、生徒たちを対象に行ったアンケートでは、「話している相手に応じて口調を変えることが大切」や「外国人が相槌をうってくれるおかげで伝わっていることがわかった。」などという回答が得られました。私たちが作成したリーフレットには「こころの法則」は載っていません。しかし、生徒たちは自然と相手を思いやり、口調を変えたり、様子を観察して伝わっているかどうかを確認していたのです。そこから私はたとえ自分が伝えたいことがうまく伝わらなくても、相手に対して思いやりを持って接すること自体が重要だと感じました。お互いに理解しやすい言葉を選び、理解しようとする姿勢を持つことは、様々な人々とのコミュニケーションにおいて非常に大切な基盤であると思います。
私は、やさしい日本語を使って日本人に外国人とコミュニケーションをとる楽しさ、喜びを感じて欲しいです。私たちはただ違う国に生まれてきただけであり、やさしい日本語という彼らたちと繋がる架け橋があれば文化や価値観の違いも理解できるはずです。日本人には、言葉が通じないという理由で外国人との会話を避けたり、異なる文化だからといって理解しようとせずに相手を遠ざけたりして欲しくありません。むしろ、お互いが気軽に話し合い、異なる文化や価値観を受け入れそれを楽しんで欲しいです。そのためには相手を思いやる気持ちが非常に重要になってきます。たとえば、外国人が一生懸命に日本語を話しているときには、日本人は話を最後まで聞き、それを理解しようとする努力と優しさが必要です。やさしい日本語を使うことも相手への思いやりの一つです。この姿勢は、外国人だけでなく、子ども、高齢者、障がい者など、すべての人に対しても当てはまります。いずれにしても、相手の立場に立って話すことが大切です。私は、やさしい日本語を普及させることを通じて、すべての人がお互いに思いやりをもって、言葉を交わす社会をつくりたいです。また、やさしい日本語を使えるようになることは災害時や避難時のときに非常に役に立ちます。近年、南海トラフ地震や台風といった自然災害が頻繁に話題に上っています。私は、阪神・淡路大震災のときのように、災害の際外国人が取り残されるようなことが二度とあってはならないと思います。だからこそ、今のうちにやさしい日本語の基礎ともいえる「ハサミの法則」を広め、誰もがやさしい日本語を使える社会をつくるべきだと考えました。私は今後、私の学校がある寒河江市からやさしい日本語を広めていきます。そのために、自分自身がやさしい日本語をもっと学び、今の日本人と日本に暮らす外国人の現状についてもっと知っていきたいです。そして、寒河江市から山形県、全国へと誰もが安心して共に暮らせるインクルーシブな社会をつくっていける人間になっていきたいです。
(講評:審査委員総括)
多くの人にやさしい日本語を知ってもらいたいという趣旨に合致し、文章構成も申し分なく、実践を交えた論の展開が大変評価できます。実際に日本語教室に参加し、技能実習生たちとやさしい日本語を使って接する中で、彼ら・彼女らが日本人と関わる機会が少なく、その原因は日本人側にあるという「気づき」を得ています 。その経験を生かし、学校祭に向け探求班で「やさしい日本語普及活動」に取り組んだという行動は素晴らしいです。生活者として外国人を捉えている点も非常に好感が持てます。
優秀賞 香川誠陵高等学校(香川県) 1年 宇都宮 絢
タイトル:共に歩む未来へ
「やさしいせかい」をつくるために自分たちができることは何か、深く考えさせられ、多くの問題点に気づかされるラップでした。やさしい日本語ラップ、と題されてはいますが、取り扱われている事象は決して日本語についてだけの問題ではありません。社会的な問題提起も数多くなされています。そして、曲自体に、日本人、外国人という枠組みすらをもこえる工夫がなされており、聞こえる人、聞こえない人、すべての人の心に届くラップとなっていました。このラップの作成者が、自分とほとんど年齢の変わらない若者たちであることに驚いています。多くの難しい問題に対するメッセージがこんなにもわかりやすく、短くまとめられていることに感銘を受けました。
初めてこのムービーを視聴したとき、まず目についたのは、約二十個もの言語で字幕をつくり、多言語化している点でした。一人でも多くの人に想いを伝えたい、という強い意思が感じられ、心からこの活動を応援したいと思いました。
そして、通常版の動画だけでなく、手話ラップ版の動画もつくっていることにも感動しました。「やさしいにほんご」を必要としている人は外国人だけではない、という当たり前の事実に改めて気づかされました。まさにすべての人に向けられた動画だと感じます。
一番の歌詞では、日本語に関する様々な問題提起がなされていました。日本語話者からすると気にも留めないようなことが、日本語を話さない人にとってはいかに困難なことなのかを気づかせてくれる歌でした。日本語の難しさに多角的な視点から触れられた気がします。
「来日後からは空気読む方が面倒」という歌詞からは、日本独特の空気感により、せっかく日本に来てくれた人たちが困っている様子がありありと思い浮かび、今すぐにでも日本社会の風潮を変えなければならないと感じました。「秘めたコトバの意味察する」文化は、相手を思いやっているからこそ成り立つものです。しかし、その考え方が誰かを困らせてしまうならば、時代に適した文化に変容するべきです。どんな文化や考え方も、受け入れることを相手に強制してはいけません。やさしいせかいをつくる上で、互いの価値観を大切にすることは重要だと気づかされました。
「はっきり・さいごまで・みじかく言う」というハサミの法則についてのパートは、私のお気に入りです。私は、私と話すことで、せっかく日本語を勉強してくれている外国の方に日本語を嫌いになってほしくありません。自分が外国語を勉強中の身なので、相手に言いたいことが伝わらない恐ろしさをよく知っているからです。今までも、日本語を勉強中の方と日本語で会話する際は、主語を明確にしたり、なるべくゆっくり話したりするなどの工夫はしていました。今回この曲を聴き、新しくできる工夫が増えたことがとても嬉しいです。今後は、今までの工夫に加え、ハサミの法則も大切にしていきたいです。
二番の歌詞では、根本的な意識を変えないと解決できないような問題について数多く表現されています。表面化しにくい問題も多いため、解決策を模索し続けなければならないと感じました。
「英語は世界の共通語? Oh 伝わらなかったらどーするの?」と歌詞にあるように、英語はたしかに世界の共通語です。しかし私たちが英語を使う際、伝わらない場面に直面することは本当に多いです。そういう時に、諦めて相手を突き放すのではなく、恥ずかしがらずにジェスチャーや表情などでコミュニケーションをとることが大切だと思いました。これは外国の方に対するだけの話ではありません。最近、点字はよく見かけるようになりましたが、手話を使用している人はほとんど見かけません。日本人は特に、日常的なジェスチャーを使うことが少ない傾向にあります。手話を一から学ぶことは難しいかもしれませんが、相手に伝えたいことがあるなら、誰に対してもその方法を追求するべきだと思います。
さらに、満員電車にもかかわらず、外国の方の両サイドだけが空席という状況に対して異常だと歌われているシーンでは、自分も似たような状況に遭遇したことを思い出しました。今まではあまり気にしていませんでしたが、この歌詞のように、その方々を「私のとなりに見えないお化けいる?こわがる訳なんだっけ?」と知らず知らずのうちに傷つけていたのかもしれません。そう考えると身近な隠れた差別に悲しくなりました。きっと誰しも「この人は外国人だから、差別しよう」という考えのもと隣に座らないわけではありません。しかし、同じ人間なのに、無意識に偏見による恐怖を抱くのは失礼です。相手のことを知る機会が、より多くの人に訪れれば良いと考えました。
「子どもが訳す親の病状」という歌詞では、医療通訳の必要性を強く意識させられました。私の友人に、日本で暮らす外国出身の子がいます。その子は家族の中で一番日本語が得意なので、日常的に通訳をすることがあるようです。多言語を使う姿を見ていると、そのかっこよさばかりが目を引きますが、通訳を迫られることで子どもたちの自由が奪われるのならば、解決策は絶対に必要です。家族の為に通訳をする子供たちの存在がまだあまり知られていないことも問題です。社会全体でシステムを整え、医療通訳を当たり前にしなければなりません。
私たちはみんな同じ人間です。同じ感情を持ち、思考もよく似ています。多少境遇が違うだけなのに、自分を表現する言葉が違うというだけで分かり合えないのは本当にもったいないです。言葉の壁も心の壁も感じることがないような社会を、全員が目指していけることを願います。
(講評:審査委員 井上 くみ子)
「やさしいせかい」のメッセージをしっかり受け止めており、自分の気づきがよく書けています。外国人だけでなく、障害のある人へも目を向けており、多言語字幕や手話版に気がついた点も評価できます。自分事として捉え、伝わらなくても諦めず、新たな工夫を重ねようとする姿勢が感じられます。無意識の偏見や親の通訳で自由が奪われる子どもなど、社会問題についても考えられており感心いたしました。素晴らしいです。
優秀賞 東京女子学院高等学校(東京都) 3年 段 佳宜
タイトル:文化や言語の壁を打破する
このラップ形式で表現された歌詞では、外国人が日本語を学ぶ際の苦労や文化的な融合の難しさが生き生きと描かれています。日本の高校に通う外国人として、歌詞に描かれた様々な苦悩や挫折を深く実感しています。これは単なる言語の学習にとどまらず、文化的な違いの中で自分の位置を見つけ、日本社会や日常生活に真正に溶け込む方法についての課題です。
歌詞の第一部では「オノマトペ」の使用と、言語伝達における微妙な違いが取り上げられています。これを見て、私自身の日本語学習の経験を思い出しました。日本語には文脈や微細な音の変化に依存する表現が多く、擬音語が頻繁に使われます。「キラキラ」と「ギラギラ」のように、一見似ているような言葉でも意味が全く異なります。外国人として、これらの単語を理解し正確に使うには、語彙量を増やすだけでなく、日本人の思考や表現習慣を深く理解する必要があります。
歌詞の中で「点々ついたらまるで別の意味」とありますが、これは平仮名、片仮名、漢字の複雑な関係を思い起こさせます。例えば、「止まる」と「止める」は、表面上は発音が少し異なるだけですが、実際には全く異なる概念です。非日本語母語者にとって、この違いを理解するには長い時間の積み重ねと実践が必要です。
歌詞は敬語システムの複雑さも正確に描写しています。私も日常生活で似たような状況に直面しています。日本社会では礼儀が非常に重視され、特に学校や公共の場では、敬語を使って他人への尊敬を表すことが不可欠です。しかし、外国人とって敬語を習得するのは非常に難しく、言語の構造を理解し、さらに、どの敬語を使うべきかを正確に判断することが求められます。例えば、「お召しになった」は一見「メシ」(ご飯)に関連するように見えますが、実際には食事とは関係なく、他人への尊敬を示します。「参りました」は文字通り「負けました」と理解されがちですが、日常会話では「私が来ました」や「私が敗れました」の意味で使われます。このような微妙な表現の違いは、外国人にとって誤解を招くことが多く、誤解したせいで、日本人から無礼だと思われてしまうこともあります。
歌詞はまた、日常的な用語の複雑さについても言及しています。「引く」と「払う」のように、特定の文脈では非常に困惑する言葉があります。例えば、「引き払う」は引っ越しを意味しますが、なぜこのような二つの簡単な動詞がこんなにも異なる意味を持つのか不思議に思います。日本語にはこのような言葉が多く、一見単純に見えても組み合わせると全く異なる意味を持ちます。外国人として、この言語習慣を理解するには、何度も繰り返し記憶し、実際の交流を通じて学ぶ必要があります。歌詞が「簡単そうで僕らには意味がない」と表現しているこの日常用語の複雑さには、深く共感します。
言語の学習は、外国人が日本で直面する一つの課題に過ぎません。歌詞では、日本で親密な関係を築くことができない文化的な壁にも触れています。これを見て、自分が日本で生活する際に感じたカルチャーショックを思い出しました。日本語を学び、日本の生活スタイルに適応しようと努力しているにもかかわらず、時には目に見えない隔たりを感じることがあります。特に学校では、クラスメートとの交流で自分が溶け込むのが難しいと感じることがあります。基本的な日本語でのコミュニケーションはできても、日本人の行動や思考の方式を本当に理解するには、まだ距離があります。歌詞に描かれているこの社交的な壁は、日本生活に適応する中で私が最も強く感じていることの一つです。
歌詞はまた、日本での外国人の具体的な困難、例えば病院でのコミュニケーションの難しさについても言及しています。これを見て、日常生活の多くの場面が外国人にとって容易ではないことを思い起こしました。専門的な言語が必要な場所、例えば病院では、コミュニケーションが特に困難です。日本語で自分の症状を正確に表現できない時、情報伝達の不正確さを招き、医師の誤った判断を招く可能性があります。さらに、動画は日本での外国人の日常生活における奇妙な現象も反映しています。例えば、電車が混雑しているにもかかわらず、外国人の隣の座席が空いていることがあり、このような細部が孤立感や排除感を引き起こすことがあります。歌詞の最後に「気持ち届けよう言葉乗り越えるココロの法則」と呼びかけていることは、言語が重要なコミュニケーションツールである一方で、心のコミュニケーションがより重要であることを深く感じさせます。歌詞に登場する「やさしい日本語」の概念は、外国人が日本の文化や言語を学ぶ努力だけでなく、日本社会が外国人にもっと支援と理解を提供できるかどうかを考えさせてくれます。
このような認識を通じて、言語の壁を超えることは単なる言語学習にとどまらず、相互理解と尊重の基盤の上に成り立っていることに気付きました。もし日本社会がもっと「やさしい日本語」を使い、文化的により包容力を持つなら、私のような外国人がもっと受け入れられるかもしれません。日本で生活し学ぶ外国人として、歌詞に描かれた多くの挑戦に深く共感しています。言語の複雑さや文化的な隔たりは、私が毎日直面している現実です。しかし、これらの壁を通じて、新しい環境により良く適応し、この環境で自分の位置を見つける方法を考えるようになりました。歌詞が伝えるのは、困難や挫折感だけでなく、積極的に挑戦に立ち向かい、理解と共鳴を追求する精神です。歌詞が呼びかけるように、理解と交流を通じて、より包容力があり友好的な社会を共に創造できると信じています。
(講評:審査委員 嶋田和子)
動画「やさしい せかい」の歌詞をていねいに見ていきながら、自分自身が体験した「日本語の難しさ」について的確に記していて、素晴らしいです。さらに「目に見えない隔たり」を取り上げ、日本社会におけるコミュニケーション上の課題について言及し、今後どうあるべきかについても明確に意見を述べています。「理解と交流を通じて、より包容力があり友好的な社会」が築いていけるよう、これからも発信していってください。受賞、おめでとうございます!
優秀賞 愛知県立刈谷高等学校 3年 中村 風花
タイトル:等しさの先の多様性
「私の隣に見えない幽霊いる?」
日本の不思議マナーへの疑問を表したこのワンフレーズ。しかし、初めて聞いたとき、私は彼らは見えない幽霊に囲まれているのだろうと思った。
男、女、若い、年配・・・人間は皆、いずれかのカテゴリーに含まれる。それ自体は単なる事実だ。しかし、その人自身を観ず、カテゴリーのみで判断したとき、偏見や先入観という「幽霊」に化けてしまう。「私」たちの周りには、他人が作りだした「私」がまとわりついているのだ。少数派であるからなのか、日常生活で周りを見ると、外国人や障害を抱えている人に向けてのそれは、より強く存在するように思われる。では、それらを取り払うために私たちがすべきことは何だろう。外国人だから、障がいを持っているからと作られてしまう無意識の差別。これを防止するためにどんな心構えが必要なのか。
それは、同じであることを理解する、これが相違の理解につながるということ。一見矛盾したこれが、私の考える心構えである。
二つの観点から説明していく。
一つ目は対等に接することの重要さである。以前、学校主催の海外研修に行ったときのこと。オーストラリアの姉妹校の方々と話す機会があった。オーストラリアでは日本語の授業が盛んに行われている。日本語が母語でない日本語教師が大半であったが、私が見る限り、先生方は日本語を使いこなしていた。私が英語で表現できずに困っていると「日本語でも大丈夫ですよ」と、助け船を出してくださったほどだ。ところが、ある先生とお話ししていると、その先生が日本の一橋大学に留学していたとき、ずっと「外国人なのに日本語ができるなんてすごいね」と言われたそうだ。
これも色眼鏡の一つではないのか。
「日本語は世界の言語の中でも難しいらしい。だから日本語を使わなければならない環境にいるのは大変なことだろう」そういった日本語母語者なりの親切心から来る言葉なのかもしれない。しかし先生は、「日本語は、私たちも日本人と同じように、習得しようと思えばできるものです」とおっしゃった。全ての「ガイジンサン」は日本語を喋れないなどという思い込みは大きな間違いである。外見的特徴のみで、自分とは異なる存在だとはじめから判断し、相手に一方的な親切を押しつけることは、本当の「やさしい」ことではないだろう。日本で暮らす外国の方も、日本語が喋れるかもしれない、とまずは対等な目線で関係をスタートさせることが必要であると考える。もちろん、人によって知識も理解度も違う。自分の当たり前を押し付け続けることはできない。会話を重ねながら、相手の理解度に応じて補足説明をしていくことが必要である。
この観点の大前提は、人間は一人一人異なる存在であるということだ。相手の能力が違うからこそ、コミュニケーションにおいてどの程度の追加説明がいるのか、それを測るために初手は対等な対応が必要なのだ。しかし、大前提であるこの考えが、等しく適用されているのだろうか。
私の学校には課題研究というものがあり、班ごとに研究テーマを決め、一年かけて調査を行う。私は「外国にルーツを持つ子どもたちの教育」をテーマに、外国にルーツを持つ中学生、高校生、担当する先生方に話を聞く機会があった。その中で最も驚いたことがある。「通訳などのサポートがもっと欲しいか」という質問に対して協力してくれた生徒のほぼ全員が「いらない」と答えたことだ。「自分の力でしゃべれるようになりたいから」と理由を語る生徒たちから、強い意思と熱意を感じた。もちろん外国にルーツを持つ子どもたちが皆そうだとは言えないが、日本語を学ぶことに意欲的である生徒がいることは確かであった。さらに、中学校で「取り出し」の授業を担当していた先生にお話を聞くと、「勉強のやる気とかは個人差がある。それは日本人でも同じでしょ?」と繰り返し語ってくれた。
二つ目の観点で強調したいこと。それは、外国人、日本人といっても同じであることだ。もちろん母国の文化や宗教など、生まれながらの違いという物はある。しかし、勉強が好き、将来やりたいことがある。勉強は嫌い、何となく進学する。これだけを見れば、日本人の間にも見られる相違である。私たちの間にある違いは国籍の違いでは無い。一人の人間としての違いである。当たり前のことであるが、分かりやすい国籍という違いを目の前に、我々は大元を勘違いしてしまうのかもしれない。誰もが一度は聞いたことのある「人間は一人一人違う」ことを、日本人だけで無く、外国人、また障がいを持つ人たちにも、等しく当てはめていく。「相違を認める」ために、まずは相手と自分が「等しい生き物」であることを心にとめておく必要があるだろう。
ここまで、無意識の差別を打開するための意識について、私なりの考えを述べてきた。外国にルーツを持つ子供たちに着目した文章となってしまったが、そもそも私が筆を取ったきっかけは、一つの後悔だ。
私がやさしい日本語を知る前、駅で困った様子の外国の方に話しかけられたことがある。彼は拙いながらに日本語を使って尋ねてきたのだ。しかし、私は迷わず英語で聞き返してしまった。相手は日本語を使ってくれたのに。戸惑った様子の彼は、翻訳アプリを使って私にもう一度尋ねてきた。翻訳前の文字は、明らかに英語ではなかった。
私は彼を日本人ではない、「自分とは違う人」と認識した。自分と同じように日本語が喋れるかもしれない、あるいは喋ろうと試みているかもしれない。そんなふうに考えることなく、外国人=英語の偏見を押し付けてしまった。
ラップ動画を見たとき、この出来事を思い出した。曲の中では、ロシア人と思われる人も、素晴らしい日本語でラップを刻んでいた。見た目だけで判断することの愚かさを知り、どんな接し方が良いのかと考え始めたのだ。
交流する際、相手が誰であっても、まずは対等な目線で話す。ここが日本であるならば、まずは日本語で。相手を幼児扱いするのでも、慇懃に振る舞うのでもなく、ただ丁寧に、簡潔に、話す。この私の訓戒が、誰かの気づきの一助となれたら幸いである。
最後に、現代では翻訳アプリで代読ができるにも関わらず、多くの人はまず直接交流を試みている。それは、電子文字では伝わらない、ニュアンス、表情、声の温かみ、相手が本当に伝えたいことを感じたい、伝えたい、そう思うからではないか。この姿勢がある限り、「幽霊」の生まれない交流は実現可能であると信じている。
(講評:審査委員 クレシーニ アン)
中村さんは、少数派の方の気持ちに共感できる人であることがよく伝わりました。「ガイジンさんなのに日本語が上手!」みたいな発言に対して違和感があることに感動し、本当に多様性がわかっているなぁと思いました。中村さんみたいな若者が増えると、きっと日本はもっと生きやすい社会になるでしょう。本当におめでとうございます!
優秀賞 三重県立飯野高等学校 1年 吉田 ゆみ
タイトル:「いっしょに」
「やさしいせかい」を初めて聴きました。まるで五年前の私のストーリーを見ているようでした。外国人は日本語を学びたいと思っていますが、最初は難しいです。だから、「やさしいせかい」は音楽やダンスパフォーマンスで、そういった様々な外国人にモチベーション与えることができると思います。日本に住んでいる外国人は、日本語が分からないととても悲しくなります。自分が言いたいことが上手に伝えることができないと、悲しい気持ちになります。
私は五年前に初めて日本に来ました。私は十一歳でした。飛行機に初めて乗り、違う国に行くのも初めてでした。それは私にとって新しい人生経験でした。ブラジルから日本までが遠いのでとても疲れましたが、なぜか楽しいと思いました。新しいことが始まるワクワクした気持ちがありました。それと同時に、日本人は優しいか、日本語が分からないけれどどうすれば良いか、頭の中で色々な疑問が溢れていました。
日本に着いた時、世界は全部が違っていました。言語、友達、学校のルールなど全部が違いました。私が出会った日本人はみんな優しくしてくれました。小学校では友達はとてもゆっくり日本語を話してくれました。「いっしょに遊ぼう」、「これいっしょにしよう」、「いっしょに行こう」と寄り添ってくれる友達がたくさんいました。このときの私は「いっしょに」が安心できる言葉だと感じました。教室では、文章の内容を教えてくれたり、英語を使ったりして、説明してくれました。みんなとても優しかったから、私は少しずつ日本語を学んでいきました。
でも中学校に入学した時に、考えが一変しました。日本語はまだまだずっと難しかったことに気が付きました。授業は大変難しくなって、勉強がわからなくなりました。国語の授業では全然理解できないことがあり、一番嫌いになりました。社会の授業も同じでした。漢字と長い文章が多くて、難しくて、意味は全然わからなくなりました。学校には知らない人が増えました。中学校2年生の時から、いじめや差別に苦しみ始めました。ある同級生ひとりが外国人をまるごと差別し、嫌なことを言うようになりました。そしてその人数はだんだん増えていき、中学2年生から卒業するまでたくさんの嫌なことがありました。外国人の私と友達にだけ差別がありました。教室にはブラジル人の友達は一人しかいなかったので、友達が休んだ日にはずっと一人で教室にいました。その友達以外の人とは誰とも話せない日々でした。私は朝ごはんも給食も食べられなくなりました。中学校には、楽しいという気持ちが無くなって、テストの点数も下がりました。学校を辞めたい気持ちや、もう生きたくないなという気持ちを持っていました。
しかし、その時の私は、なぜか家族の誰にも、そのことについて話しませんでした。
ある日、父の車で、隣りの県まで遊びに行きました。そこで、父に泣きながら全部を言うことができました。私と父は一緒に泣きました。それまでは自分のつらい気持ちを言うのが悲しくて難しかったのですが、この時、話すことができました。胸にあったもやもやした黒いものが少し小さくなった気がしました。父は私に言いました。「なぜ教えてくれなかったの。もう心配しないで。こんなことが起こらないようにするために私が助けるよ。あなたは私を信頼できるでしょう。」
そのあと、私は毎日学校のことを家族に話すようになりました。そのことでご飯も食べられるようになり、私の心はだんだん安定していきました。
学校以外では家族や友達と一緒に遊んだり、旅行をしたり、色々な楽しい時間がありました。私たちは東京、大阪、静岡、岐阜、奈良、名古屋、浜松、桑名など、日本の様々なところに行きました。日本はきれいな場所がたくさんあり、日本の地図もまた、きれいだと思います。私は地図を見ることが大好きです。英語やポルトガル語など違う言語も書いてあると嬉しくなります。私は地図を見て、方角がどこで、どこに何があるかを知ると、頭がスッキリします。日本で嫌なこともあるけれど、違うところに行って新しいものを見て聞いて、深呼吸して、気持ちが晴れやかになります。あの日、父が私を遠くに連れて行ってくれたのは、私と「いっしょに」出かけることで、私が悩んでいることを「いっしょに」感じて話し合いたいと思ったからでしょう。
日本語の嫌いな言葉は、「友達になりたくない」、「友達がいない」、「日本語わからないのか」、「外国人近づくな」、「ブラジル人と話さない方がいい」、「ブラジル人は変」。
日本語の好きな言葉は、「あなたは一人じゃない」、「いっしょにがんばろう」です。やはり、一人っきりになることは恐怖です。誰でもそうだと思います。
今年四月、私は高校に入学しました。高校には外国人生徒が多いので、恥ずかしくても友達を作ることができました。今は楽しい学校生活です。高校で困っていることは、国語の授業が更に難しくなったことです。漢字もとても多くなりました。私は漢字が苦手です。漢字を覚えること、読むこと、意味を理解すること、書くことも苦手です。私は作文も苦手です。作文を考えることはできるけど、日本語で文章を書くことができないので、私が伝えたいことも伝えることができないです。高校でもっと日本語を勉強して、自分を表現できるようになりたいと思います。
今年の夏休みに、私は高校生対象のインターンシップにいきました。保育園を希望しました。保育園には外国人の子供が数人いました。私は、外国人の子供たちが困った時に、助けてあげたいと思いました。お母さんと離れて、ずっと泣いている三歳の女の子がいました。私はその女の子のお母さんのようにやさしく話しかけ、気持ちが落ち着くまで待ちました。「いっしょに遊ぼう」と、ゆっくりと話すと、その女の子は泣き止み、遊び始めることができました。私が小学生の時に、友達に話しかけてもらったあの「いっしょに」という言葉を、私がその女の子に使いました。魔法のように思えました。日本語はこのように使ったほうがいいと実感しました。他人を差別するのではなく、他人を助けるために使うほうがいいです。泣いていた子供が笑うために使いたいです。その保育園では、外国人の子供が多いので先生が困っていることもありました。子供や保護者の方が日本語がわからなくて、言いたいことが伝わらないからです。私はその子供たちや先生を助けたいと感じました。こんなに自分の境遇を活かして、他人を助けることができる場面はないと思いました。私はダンスも好きなので、保育園で子供たちと一緒に踊った時には、今までにない喜びを感じました。ダンスなら、自分を言葉ではない表現方法で見せることができます。将来は保育園の先生とダンスの先生になりたいです。小さい子どもたちを助け、応援し、言語の壁を越えてダンスを「いっしょに」踊りたいです。
(講評:審査委員長 山脇啓造)
11歳の時にブラジルから来日し、周囲にやさしい言葉をかけられ。楽しかった小学校生活。一方、周囲から嫌な言葉をかけられ、苦しかった中学校生活。その対照的な経験を振り返った文章に心を揺さぶられました。この作品は必ずしも「やさしい せかい」の内容に具体的に言及していませんが、一人でも多くの全国の学校の生徒そして教員の皆さんに読んでもらいたいと思います。
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